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東京地方裁判所 昭和51年(ワ)5588号 判決

原告 長井琢英

右法定代理人親権者母 長井昌子

右訴訟代理人弁護士 柿沼映二

被告 東邦生命保険相互会社

右代表者代表取締役 太田辨次郎

右訴訟代理人弁護士 大高満範

同 松原護

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五一年七月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外亡長井保幸は、昭和五〇年五月二四日、被告との間において、次のとおりの生命保険契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

(一) 種類 無診査保険

(二) 被保険者 長井保幸

(三) 被保険者死亡のときの保険金受取人原告

(四) 保険期間 昭和五〇年五月二四日から昭和七五年五月二三日まで

(五) 保険金額 二〇〇万円

2  右被保険者長井保幸は、昭和五〇年一二月二四日死亡した。

3  よって、原告は被告に対し、右保険金二〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五一年七月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2の各事実は認める。

三  抗弁

1  長井保幸は、昭和四七年七月一三日国家公務員共済組合連合会立川病院(以下「立川病院」という。)に入院して慢性肝炎、肝硬変症及び糖尿病の治療を受け、同年九月二〇日退院し、通院加療を受けていたが、その後も糖尿高血糖を併発するなど症状が好転せず、昭和五〇年五月二一日右病院から東京都済生会中央病院(以下「済生会病院」という。)に転院した。

右の事実は、被告が右保幸との間で同人を被保険者とする保険契約を締結するにあたって、同人の生命の危険を測定するうえで重要な事実であるから、商法六七八条一項にいわゆる「重要ナル事実」に該当することが明らかである。

しかしながら、本件保険契約者であり、被保険者である保幸は、本件契約締結の際、被告に対して悪意により右の重要な事実を告知しなかった。

2  右保幸の妻である長井昌子及び同人らの子である原告は、いずれも保幸の相続人として本件契約の当事者の地位を承継したが、原告は保幸死亡当時未成年者であったので、被告は、右相続人兼原告法定代理人である長井昌子に対し、昭和五一年三月一七日到達の書面で前記告知義務違反を理由として本件契約を解除する旨の意思表示をした。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、保幸が昭和四七年七月一三日立川病院に入院し、同年九月二〇日退院したこと、同人が昭和五〇年五月二一日済生会病院に転院したことは認めるが、その余は不知ないし争う。

なお、外務員には告知受領代理権がないから、保幸が本件契約締結の勧誘をした被告の外務員である訴外三浦静枝に対し重要な事実を告知しなかったとしても、保幸に告知義務違反があるとはいえない。

2  同2の事実は、解除の意思表示の相手方の点を除き認める。

解除の意思表示は、単に長井昌子個人に対してなされたにすぎないから、無効である。

五  再抗弁

1  仮に保幸に告知義務違反があったとしても、前記三浦は、本件契約締結に先だち、保幸に対し本件契約内容の説明及び既往症等の問診をすることなく執拗に本件契約締結の勧誘をしたのであるから、被告には前記重要事実を知らなかったことについて過失があったものというべきである。

2  被告は、昭和五一年二月六日本件契約の解除の原因となる事実を知ったのであるから、右二月六日から一か月の経過により同契約の解除権は消滅した(商法六七八条二項、六四四条二項)。従って、その後になされた同契約を解除する旨の意思表示は効力を生ずるに由なきものといわなければならない。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実は否認する。

被告が本件契約の解除の原因となる事実を知ったのは昭和五一年三月一一日である。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1、2の各事実は、当事者間に争いがない。

二  告知義務違反について

1  被告は、「保幸は、本件契約締結の際、被告に対して悪意により重要な事実を告知しなかった。」と主張する(抗弁1)ので、まずこの点について検討する。

《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  保幸は、昭和四七年七月一三日立川病院に入院して慢性肝炎、肝硬変症及び糖尿病の治療を受け、同年九月二〇日右病院を退院した(右入・退院の事実は争いがない。)。

なお、同人の右初診時の主訴は全身倦怠及び食欲不振であり、また、同人には肺結核及び肺ヂストマの既往症があった。

(二)  保幸は、右退院後も右病院に通院しながら治療を継続して受けていたが、肝機能は一進一退の状態で、昭和四八年四月ころからは糖尿高血糖を併発し、さらに昭和四九年にはいり胃食道の透視により静脈瘤が発見された。

(三)  その後も同人に対し投薬及び食餌療法が施行されたが、病状が好転しないため、同人は、昭和五〇年五月二一日立川病院から済生会病院に転院した(右転院の事実は争いがない。)。

(四)  被告の外務員である三浦静枝は、本件契約締結に先だち、保幸に対し、本件契約内容を説明し、さらに契約申込書添付の告知書に記載された被保険者の現在及び過去の健康状態等について項目毎に順次質問してその回答を右告知書に記載したうえ、これを被告に提出した。

右告知書には、保幸の現在及び過去の健康状態について特に異常の点がある趣旨の記載はない。

なお、保幸は、その当時外見上からは健康状態に異常がないように見えた。

(五)  被告は、本件契約の成立直後、保幸に対し、右告知書の写しを送付し、告知事項の内容に告知洩れや誤りがないかどうかの問い合わせをしたが、保幸は被告に対し何ら異議を述べなかった。

(六)  保幸は、昭和五〇年六月三〇日済生会病院に入院し、検査を受けた結果、食道静脈瘤を発見されたが、糖尿の治療を受けて同年七月に一時退院した。

(七)  しかしながら、保幸は、その後肝機能が急激に悪化し、食道から出血が認められたため、右病院に再入院し、同年九月二九日手術を受けたが、肝障害は悪化の一途を辿り、同年一二月二四日肝硬変症のため死亡するに至った。

以上の各事実が認められる。

2  尤も、証人横山太祐の供述中には、「保幸は、三浦から本件契約の申込を勧誘された際、三浦に対し病気であるから応じられない旨述べたが、三浦の執拗な勧誘によってやむをえず本件契約を締結したものであって、本訴が提起される以前の段階において、三浦もこれを自認していた。また、本件契約締結当時、保幸は、一見して病気であることがわかるほど病状が悪化していた。」との、前認定と抵触する供述部分がある。

しかしながら、同証人は保幸の兄であり、保幸と親密な間柄にある(この事実は、同証人の証言により認められる。)にもかかわらず、三浦の右勧誘方法について被告に苦情を述べたか否かについて供述を訂正し、また、本訴提起前に、被告に対し三浦から事情聴取をするよう要請した旨供述しながら、その後同証人が被告に対し積極的にその回答を求めたこと、あるいはまた被告の回答を不服として被告に対し三浦と対質して再度事情聴取をするよう要請したことを窺わせる供述のないことに徴し、さらに前掲各証拠を合わせ考察すると、同証人の前認定と抵触する供述部分はにわかに採用し難いものといわざるをえない。

また、保幸は男子である(この事実は争いがない。)にもかかわらず、前記告知書において婦人のみを対象とする事項についても回答がなされているが、右事実は未だ前認定を覆すに足りないものというべく、他に、前認定を覆すに足りる証拠はない。

3  前認定の事実関係によれば、本件契約締結当時保幸が肝機能等に障害があった事実は、同契約における被保険者である保幸の生命の危険を測定するうえで重要な事実であって、商法六七八条一項にいわゆる「重要ナル事実」に該当するものと認めるのが相当であるから、保幸は、右の事実を被告に告知する義務があったものといわなければならない。

4  しかして、前認定にかかる前記告知書が作成されるに至った経緯、右告知書の記載内容、右告知書の写しが保幸に送付された経過及び保幸の病状等に鑑みると、保幸は被告に対し、前叙の重要な事実を告知せず、かつこの点について悪意又は重大な過失があったものと推認するに難くない。

なお付言するに、《証拠省略》によると、被告の外務員である三浦は、保険契約の申込の勧誘をする権限を有するにとどまり、保険者である被告を代理して保険契約を締結する権限はもとより、保険契約における重要事項の告知を受領する権限を有していなかったことが認められるから、保幸が三浦に対し前判示にかかる重要な事実を告知しなかったことから、直ちに保幸に告知義務違反があったものと速断することはできないが、しかし、前認定のとおり三浦を介し前記内容の告知書が被告に提出され、しかも保幸はその後被告から右告知書の写しの送付を受けながら、被告に対し何ら異議を述べなかったことからみて、保幸は被告に対し重要な事実を告知しなかったものというのほかないのである。

5  ところで、原告は、「三浦は、本件契約締結に先だち、保幸に対し本件契約内容の説明及び既往症等の問診をすることなく執拗に本件契約締結の勧誘をしたのであるから、被告には前記重要事実を知らなかったことについて過失がある。」と主張し(再抗弁1)、証人横山太祐の供述中にはこれに符合する部分があるが、右供述部分は前掲各証拠に照らしてにわかに採用し難く、他に被告の過失を認めるに足りる的確な証拠はない(因に、被告の外務員である三浦が告知受領代理権を有していなかったことは前認定のとおりであるから、原則として三浦の知・不知・過失を保険者である被告のそれと同視すべきではないと解される。また、三浦が自己の勧誘成績をあげるため保幸を欺いて虚偽の告知書を作成したなど、被告に外務員の選任・監督について過失があったこと、ひいては被告に前記重要事実の不知について過失があったことを窺わせる証拠もない。)。

6  以上のとおりであるから、被告は、商法六七八条一項に基づき本件契約を解除することができるものといわなければならない。

三  解除の意思表示の相手方について

1  保険契約者が死亡後、保険者が当該保険契約を解除する場合、その解除の意思表示は受取人に対してではなく、保険契約者の相続人に対してなすべきものと解するのが相当である。

2  これを本件についてみるに前記保幸の妻である長井昌子及び同人らの子である原告がいずれも保幸の相続人として本件契約の当事者の地位を承継したこと、原告が保幸死亡当時未成年者であったこと、被告が昭和五一年三月一七日到達の書面で前記告知義務違反を理由として本件契約を解除する旨の意思表示をしたこと、以上の各事実は当事者間に争いがないところ、右の争いのない事実のほか、《証拠省略》を総合し、弁論の全趣旨を参酌すると、本件契約の解除の意思表示は書面でなされたが、右書面の名宛人は単に「長井昌子」と記載されていること、しかしながら、被告は、右書面を送付した当時、本件保険契約者である保幸の相続人が長井昌子及び原告の両名であり、かつ原告は未成年者であって、その親権者が長井昌子であることを知っていたことが認められるから、右の事実によれば、右書面の名宛人に関する記載はいささか不完全であることは否定できないものの、右書面によりなされた解除の意思表示は、長井昌子及び原告(法定代理人親権者母長井昌子)に対してなされたものと認めるのが、当事者の意思の合理的解釈として相当である。

他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

四  解除権の消滅の有無について

1  原告は、「被告は、昭和五一年二月六日本件契約の解除の原因となる事実を知ったから、右二月六日から一か月の経過により同契約の解除権は消滅した。」と主張する(再抗弁2)。

なるほど、《証拠省略》によると、被告は、昭和五一年二月六日原告側から医師作成の死亡診断書が添付された保険金請求書の提出を受けたこと、右死亡診断書には保幸の死亡原因のほか、発病から死亡に至るまでの経過等が記載されていることが認められる。

2  しかしながら、《証拠省略》によると、被告は、右保険金請求書が提出された後、訴外株式会社保険連合調査会に対して右死亡診断書の記載事項について調査を依頼したところ、同年三月一一日右調査結果の報告がなされ、右死亡診断書の記載内容の正確であることが判明したことが認められる。

そうだとすると、被告は、右三月一一日に本件契約の解除の原因となる事実を知ったものというべきであり、他に前記原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

3  以上のとおりであるから、本件契約は、商法六七八条一項に基づく被告の解除の意思表示により昭和五一年三月一七日有効に解除されたことに帰着する。

五  結論

叙上の次第で、原告の被告に対する本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 飯田敏彦)

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